コロナワクチンと超過死亡数
下記の超過死亡数グラフでは、毎年の死亡数を折れ線グラフで表しています。
死亡数には、国内の全ての死因を含んでいます。
データは厚生労働省の「人口動態統計月報(概数)」に基づいています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1a.html
黄色のグラフ(2014年~2019年)は、コロナ騒動以前で大きな変動はありません。
全般的な傾向として、高齢化に伴い、死亡数は毎年2万人くらい増えています。
グラフに大きな変動があるのは、2021年(青)です。
前年(赤)と比べて、大きな開きがあります。
2021年(青)は、前年に比べて、死亡数が67,161人増えているのです。
〔1,439,809-1,372,648=67,161〕
2021年(青)は、ワクチン接種が始まった年です。
(2月17日から医療従事者の接種開始、4月12日から高齢者への接種開始)
ちょうど、ワクチン接種が開始されてから死亡数が増加し始めています。
そして、3回目接種が本格化した2022年(紫)の後半から激増しています。
2022年(紫)と前年(青)を比べると、129,152人の増加です。
〔1,568,961-1,439,809=129,152〕
高齢化による増加率が2万人とすると、超過死亡数は11万人ほどになります。
つまり、ワクチン接種の影響で亡くなったのは、2022年で11万人ほどと推定されるわけです。
そして、興味深いところでは、コロナ騒動が始まった2020年です。
テレビでは、日々、感染者数が最多とグラフで示し、コロナの恐怖をあおっていました。
パンデミックと大騒ぎし、オリンピックも延期された年です。
本来なら、コロナ感染症で死者が激増し、超過死亡数は跳ね上がっているはずです。
それが、前年より死亡数が8,450人減っているのです。
普通なら、何事もなくても、高齢化によって2万人は増えるはずです…それが、なぜ?
それは、感染を恐れた多くの人が病院へ行くのを控えたから、と考えることができます。
実は、このような話は世界中で語られています。
1973年、イスラエルで、医者のストライキが1カ月にわたって行われました。
すると、死亡率が半減したのでした。(エルサレム埋葬協会)
そして、病院が再開すると、死亡率も元に戻ったのです。
身近なところでは、病院を控えたら、薬をやめたら、元気になったという話など珍しくありません。
そもそも、西洋医学は戦争医学であって救急医療が専門です。(健康創りは専門外)
もちろん、病気でも、対症療法が必要な時、必要な段階があるのも事実です。
でも、慢性疾患に対して、対症療法の手法のみで対応することはできません。
対症療法は、せっかくの「内から治ろうとするはたらき(症状)」を邪魔してしまいます。
積極的な健康創りは、本人の中からするしかないのです。
お薬や注射など、外からのはたらきかけ(外因)は、条件でしかありません。
外からできるのは、「適度な条件を整えてあげる」ということだけです。
不足している栄養素を与えるとか、快適な温度にするとか、できることは限られてきます。
主体(内因)が受容できる範囲を超えると、破壊行為になってしまいます。
つまり、外からの力で健康を創ることはできませんが、壊すことは容易なのです。
とはいっても、私たちが求めているのは、対症療法であり、目先の利益です。
なので、そんなニーズを満たせるビジネスしか生き残ることはできません。
たとえば、病院を作って根本療法を掲げても患者さんは来ません。(早晩倒産してしまう)
なぜならば、根本療法は、自分で行う必要があり、すぐには成果が得られないからです。
同様に、この社会のあらゆる問題も、対症療法的に対処されてきました。
でも、対症療法では、根本的に問題を解決することはできません。
そして、必ず、副作用(弊害)を伴います。
その副作用に対して、さらに対症療法を重ねていくことになります。
結果的に、社会の問題は複雑化し、混迷を深め、手に負えなくなるわけです。
こうした悪循環から抜け出すには、対症療法から脱却するしかありません。
もし、私たちが根本療法を求めるようになったら、救急医療以外の病院は倒産してしまいます。
病院に行かなくなったら死亡率も半減します。
病院のほうは、根本療法を指向せざるを得ませんから、自ずと健全化していきます。
当然のこと、ワクチンによる被害もゼロになるわけです。
「狭い門」から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、「いのち」に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。(マタイによる福音書7:13)
この「狭い門」に入れば、求めれば与えられ、探せば見つかり、門を叩けば開かれ、そしてくびきは負い易く、荷は軽い。(マタイによる福音書11:30)